野 う さ ぎ 舎 の 想 い

暮らすことについて


○ 住まいと向きあうことは 自分の人生と向きあうことでもあります

 

どんなところに住んでいたとしても、その人にとって住まいはその人の人生におけるベースになります。

住まいのコンディションはその人自身のコンディションを映し出しているともいわれますが

なるほど一理あるなあと、ときどきに感じています。

 

この仕事はどうあれ住まいをがらっと変えていくという場面に立ち会っていくのですが

その中でとてもわかりやすい現象があります。

 

住まいが変わる前と変わった後では、大概の施主さんの暮らし方が変わります。

 

以前の住まいではだいたいにおいて、

どうしても散らかしてしまう、慢性的に片づかない、家事が大変、

そんな事情を抱えておられるのですが

新しい住まいでの暮らしが始まると、見事にきれいに暮らされていきます。

 

私たちと住まいを造っていく中で、当然よりよい環境にしていくわけですから

きれいに暮らせるようになるのは当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが

 

私たちが暮らしよいようにどれだけ工夫を凝らしたとしても

そこに住まう人の心までコントロールすることはできません。

 

その住まいをどう住みこなしていくかは

やはりそこに住む人の心ひとつにかかっていて

 

住まいを造るというプロセスを通して

ご自身の暮らしへの意識が変わっていくからだとと考えています。

 

自分のことや家族のこと、暮らしごこちがいいとは自分たちにとってどういうことか

そんなことを日々の中で捉えてみる時間はなかなかもてなかったりするものですが

 

住まいづくりはそのあたりのことを

腰を据えてじっくり見直し、向きあっていくことのできるとても素晴らしい機会になっていきます。

 

 

そのことが、人生を豊かにしていくカギになっているのではないかと思っています。

 

 

 

○  家事は「労働」ではなく「創造」です

 

家事って結構楽しいものなんじゃないかと思っています。

なぜなら家事によって自分たちの暮らしの中にいろいろなものが作られていき、いろいろに変化していくからです。

 

毎回のごはんだって、ひとつとして同じものはできないからこそ面白いし

掃除や洗濯だって、日々のコンディションによってやり方が変わります。

ひとつひとつの作業に真剣に向きあっていくとどの作業も結構深い世界なんですね。

 

色を揃えてみようかとか、今日は干し方を変えてみようかとか

この食材とあの食材って実は相性いいんじゃないか??とか

人それぞれに解釈や好みがあって、それがその家の味や色になっていく。

 

いろいろな家事の仕方を見させてもらっていると

本当に正解なんてないなと思います。

いかようにも遊べるなと思います。

 

効率や次のことばかり気にしてしまいがちですけども

気にしても気にしなくてもその作業にかかる時間はそんなに変わらないんですね。

ならばひとつの作業をしているときは目の前のことだけに全神経を集中していくと

面白い感触になってくるのではないかと思います。

 

 

そして、家事が楽しくなるもうひとつ重要な視点は

家事を通して自然や社会につながっているんだという事実に意識的であるかどうかだと思います。

 

食材を手に入れることひとつとっても

どうあれ経済とつながっているし、産業ともつながっていることになります。

今は実にいろんな選択肢がありますね。

 

大型スーパーを回って安い食材を手に入れることもできるし

健全に育ちできあがった食材を吟味してあつかってる個人商店もある。

畑まで出向いて野菜を手に入れることだってできる。

 

食材ひとつひとつに必ず、それを作る人たちや、

原料が育った環境、土壌、無数の生き物たちがかかわっています。

それらの要素が自分たちの身体を作ってくれているわけです。

 

掃除や洗濯でも、しっかり社会と自然界とつながっています。

自分の家から流れていく排水は、たくさんの労力をかけて自治体が整備したシステムをとおり

その先は必ず川と海につながっています。

 

ごみだってそうですね。

当たり前に思っているけど、日本のほとんどの地域では

自治体や民間業者さんが回収をしてくれてるから家や街が清潔に保てるのですね。

 

そしてごみのゆくえ。

燃えなかったら埋め立てるしかないのだけど

埋める場所はもう相当限られていると聞きます。

 

ペットボトルやビニール袋などの残骸は自然界にあふれていて

人間以外の生き物に多大な影響を与えています。

好むと好まざるに関わらず、彼らの口に入ってしまうのです。

 

日常にあふれているささやかな選択のひとつひとつが

個人的なものではないのです。

 

ひとつひとつの家庭の暮らしが家事によって構成されています。

ということは、そのひとつひとつの家庭の暮らし方が他の家庭ともつながり

社会とも、自然環境ともつながっているのですね。

 

このあたりを意識的になっていくと

家事ほど身近なのに意義深く、創造性の高い社会活動はないのではないかと思うのです。

  

 

家事って「労働」っていう感覚で捉えられているところもあって

しかもなぜか「タダ働き」っていう尺度もくっついていたりして

そうなるとなんだか重たい、やりたくない感じが出てきてしまいますけども

そんなことはない。

 

家事とは「創造」である。

 

家事とは「社会活動」である。

 

とみんなが誇りをもって大いに楽しんでいけたなら

日本の社会もなかなか素敵なことになってくるんじゃないかと

 

結構真剣に考えています。

   

 

 

○  住まいや家具は暮らしの相棒です

 

物にも意識がある、と聞いたことありますでしょうか。

私はそれを信じているひとりです。

 

わが家にある家具や道具、衣類や車などに

話しかけたりしています。怪しいですね(笑)。

 

けれどもこんなふうに思っています。

この家やこの物たちがいてくれるからこそ、私の生活は成り立っているし、もっというと豊かに暮らせるわけです。

どんなにぞんざいに扱おうが、ものも云わずにただただ働いてくれます。

(無理をさせすぎると壊れますね。)

 

私はそんな彼らを暮らしの相棒だと思っています。

ほうき一本でも、箸一組でも。

ありがとうやごめんねを伝えるのは当然のことになっています。

 

そんな感覚でいると、自然に物を大事に扱うようになります。

できる限りメンテナンスをしていこうと思いますし、

掃除も面倒な気持ちより楽しい気持ちが勝つようになります。

 

物にも意識があるとするならば、そうして使ってもらった方が

俄然嬉しいに決まってるんじゃないかと真剣に思っているわけです。

 

そして、そのように大事に扱っていける物を吟味して選ぶことも大切な儀式です。

見た目や雰囲気も大事ですが、

デザインがその物本来の機能にかなっているか、

メンテナンスのしやすさ、いつもはどこにしまっておくか、役目を終えたときどう処理されるのか

納得がいくまで妥協しないことにしています。

 

そうして見ていくと、その物たちを考えつくってきた人たちにも思いが及びます。

いろいろな生い立ちがありますが、

愛と情熱をかけて作られた物は値段に関わらず上等な顔をしています。

 

現代の日本では眠っていても手に入ってしまうくらい

物があふれている社会になっていますね。

 

だからこそちゃんとまっすぐに作られたものを相棒にしたいと思っています。

それが健全な物が作られる循環にもつながっていくとも考えています。  

 

そんなこんなで、物と私の相互関係が暮らしのよい循環につながっていきます。

わが家を訪ねてくれる方々が、なんでかとても気持ちよく感じてくださるのは

そういった物と私の関係性が大きくあるのではないかなと思っています。

 

難しいことはなにもありません。

もちろん個人差はありますけども、人の暮らしに必要な物の数って実は大した数ではないのです。

必要十分な数であれば、このようにつきあっていくことは十分にできると思っています。

それが本当に心地よかったりします。

 

家に物が多すぎて持て余しているのは、消費社会の代償です。

物がたくさんあることで暮らしがラクになるという幻想がありますが

使いこなせずもてあましている物であふれた家に暮らす人がいつもどこかで窮屈な思いをしていることは

暮らしの楽しさ、快適さにはどうやっても結びつかないように思います。  

 

住まいや家具、道具たちは私たちの大切な相棒です。

楽しく豊かに暮らす秘訣は

その相棒たちと仲良くすることが大きなカギであると考えています。

 

 

 

○  四季を感じていくことが、日々を豊かにしてくれます

  

四季を感じられる場に自分をおいておくことはとても大切なことだと考えています。

   

現代の日本、特に都市部では、季節感というものがとても捉えにくくなっています。

365日同じような環境をつくりだすことがよいこととされている傾向があります。

温度を一定にする、湿度を一定にする、除菌する、動物や虫を害のあるものとして排除する。

 

現代人の生きにくさって実はそのあたりが深く関係しているように感じています。

 

 俯瞰してみれば、

それでも一年を通じてどうやっても自然環境の営みに影響を受けていることは

揺るぎのない事実です。

 

私たち人間が地球環境に順応しなくては生きていけない生き物であるということは

どうがんばっても変わりません。

人間の歴史をなぞってみても、これだけ人工管理された環境がつくりだされているのは

本当にわずかな年数です。

 

ならば、積極的にそのあたりを受け入れていった方が

生きやすくなるのではないかと考えています。

 

住まいづくりでも、ある程度の暑い寒いを感じられる方がいいと考えていますし

暮らしの上でも日常的に頭と身体を使って工夫をするといった

人間本来の感覚をフルに使えた方が充実感が感じられると思っています。

 

たとえば

日本には今は旧暦とされている太陰太陽暦という暦があります。

これは地域差も含め、日本での気候、季節に沿って生きやすいように

先人たちが自分たちの経験をもとにこつこつと積上げてこられた知恵の記録ともいえます。

以前の日本人はそれに沿って生活をしていました。

 

今の時代にこそ、私たちがこのような知恵を知り、今の暮らしにいかしていくことが

本来の豊かさを日々感じることができるカギになってくるのではないかと考えています。

 

そんな発信もしていけたらと思っています。

  

  

○  暮らしは答えのない実験の場です

 

いろいろおりこうさんに書いていますが

住まいのことも、暮らしのことも、

自分なりに今までの様々な失敗をともなった試行錯誤があってわかるようになってきたことばかりです。

 

親から受け継いだものもあれば、大人になって他人様からいただいたこともたくさんありますし

日々の暮らしの中で気づいたこと、仕事を通して確信するようになってきたこと、

本当に様々な場面での気づきや実験を結果的に重ねてきました。

 

仕事柄、他人様よりも住まいや暮らしのことにどっぷり向きあってきたということもありますが

本当に暮らしってものは幅が広いし奥が深い。未だに知らないことばかりで興味がつきません。

 

 

本当にいろいろなやりとりの中でわかって活かしていけるようになることは

失敗してイタい思いをすることすらも含めて楽しいことだなと思っています。

そしてこれからもそれは続いていくことだとも思っています。

気づきや実験によって変化していくことも、人生の大きな楽しみ方ではないかと思うのです。

 

 

知れば知るほど、本当に正解っていうものがないってことがわかってきます。

国レベルで違うことはわかりやすいですが、一家庭同士でもスタンダードは違うことだらけです。

  

隣人同士が互いに気持ちよく暮らすためのモラルやルールは必要であると思いますが

そこも含めて、トライアンドエラーの精神で柔軟にあれこれとやってみるのが

住まいや暮らしを楽しむ秘訣なのではないかと思っています。

 

暮らしで答えがないことを楽しめるなら、他人様との違いも楽しめるでしょうし、

そうなったら怖いものなしなのではないかなと常々思っています。

 

お互いの暮らしの実験をシェアすることもなにかととっても素敵なことになります。

他人の暮らしから自分の暮らしを顧みることで、新鮮な風が流れてきます。

 

そんな気持ちでこれからも暮らしの場での実験を楽しみ、

みなさんとシェアいける場を持ちたいと思っています。